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歌舞伎町アートセンター構想委員会より

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●方山堯●
Takashi Katayama

ニューヨークのマンハッタンには、大規模・大衆的・ヒマワリ的存在の「ブロードウェイ」と、中小規模・前衛的・月見草的存在の「オフ・ブロードウェイ」「オフ・オフ・ブロードウェイ」があることで知られています。

王城 ビルは 1964 年の竣工以来、常に旧新宿ミラノ座、旧新宿コマ劇場、そして新築の東急歌舞伎町タワーと いった街の巨人たちを微かに意識し、場を作り、そして発展してきました。

これは決して今回のアートという 文脈のみならず、これまで王城で名曲喫茶、キャバレー、カラオケ店、そして居酒屋を営む中で、常に"ブロードウェイ"を横目にしてきたと言えるでしょう。

そこには"オフ" "オフ・オフ"ならではの歴史があり、人の 出会いがあり、そして想いが小規模ながら凝縮して染み込まれています。

今回のテーマである「表舞台」と「奈落」の関係性も、まさにこの考えに類するものと言えると思います。

祖父の代に造られたこの特異な建造物を引き継いでいくことこそが私の人生の使命ですが、今回のアートイべント、そしてこれから更に未来を創造する中で"オフ" "オフ・オフ"であり続け、小さく強く光り輝くことに、 この上ない喜びを感じざるを得ないと思っております。

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●卯城竜太●
Ryuta Uhiro

そもそも歌舞伎町は、モノを売ってきた街ではない。コトを、サービスを、身体を売ってきた街である。

街と アートの歴史を見ても、「ゼロ次元」や「新宿少年アート」、「状況劇場」、Chim↑Pom でいえばエリイの結婚デモや解体間近のビルでの展示など、ハプニングや身体表現が勃発する場所だった。そのような街にア ートスぺースなど可能だろうか?

美術館型のホワイトキューブにとって物質性と不変性はデフォルトである。

歌舞伎町で起きてきたことはまさにその真逆、パフォーマティフブな流動性によるアクシデントだった。

だからこそ、劇場型のまちづくりにあっても歌舞伎町には、美術館が必要とされてこなかった(のではないか)。この街にあえて「美術館」ができるとしたら......

そこで鑑賞されるのはきっとモノではなく、完全なる出来事だろう。

そんな展示スぺースは可能だろうか?

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●手塚マキ●
Maki Tezuka 

「てめーら 1 時間後に死ぬかもしれねーんだろ?だったら楽しもうぜ!」

高級シャンパンが入ったホストク ラブの席で売れっ子ホストが叫んでいる。

この町は湿地の上に立つ盛り場だ。角筈から運ばれた土がこの沼地の水を塞ごうとしてもなお、明日のことを考えていないヒトたちの泥酔した汗が、熱気のこもったゴールデン街の息苦しさのなかを、地下のホストクラブのひびわれた壁をつたう水のなかを彷徨っている。

湿り気、それは我々がうとましくおもい、包みかくそうとしてきたものではなかったか。

それでも私は、他人の目など気にせず湿り気に誘われて沼には まる時間が人間には必要だと思う。

肩書や役割を捨て、ただの 1 人の人間として。

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●山本裕子●
Yuko Yamamoto

新宿・歌舞伎町は戦後の復興計画にあっても多様性に溢れ、1960年頃からは多くの前衛芸術家らが活動してきた場であり、今なお路上文化が息づく、東京最後の有機的な繁華街です。

ここに居場所を見つけ た生身の人間が本音で生きる街のそのリアルな様は、怖くもあり、清々しくもある。

Chim↑Pom from Smappa!Group や東急歌舞伎町タワーのアートプロジェクトに関わる中で、この街を魅力的にしているの は、まさにその人間たちがつくってきた文化だと実感しています。

王城ビルで新たに立ち上がった地元の 機運と共にある芸術活動が、日本のアートシーンの一つになり、その特性から、翻って最もインターナショ ナルな評価を得てしまう可能性を感じます。

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●田島邦晃●
Kuniaki Tajima

奈落は地獄なのだろうか。ずっと考えている。 奈落は「土」であり、土の上は舞台であり、その上で踊るぼくたちは「風」ではないだろうか。

詩人の岩崎航が「漆黒とは、光を映す色のことだと。」と詠んでいる詩を思い出した。

奈落の底からは光が噴き出し、その上で僕たちは踊る。

奈落は希望であり、風土を作り出している。
いみじくも Chim↑Pom from Smappa!Group は、今回のテーマを「ナラッキー(Na-Lucky)」とした。

奈落の底の希望を感じ、漆黒の中の光を浴びて踊る、傾奇者になる。

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